トヨタ自動車が先般発表した2007年の新車販売計画によると、グループ内でのグローバル販売台数は前年より6%増の934万台としていることから、年内に米国ビックスリーを抜き世界最大の自動車メーカーに躍り出ることが確実になった。
前世紀はじめ、T型フォードによって大量生産が可能になって以来、自動車は工業力のみならず米国の文化を表現する象徴的な存在であり続けてきた。その強大な工業力によって、前世紀半ばの太平洋戦争において完膚なきまでに叩きのめされた経験もあったから、僅か半世紀ほどの後に、わが国自動車メーカーが世界のトップになるとは誰が予想しただろうか。
当然ながらトヨタの強さはトヨタ一社だけの力によるものではない。トヨタを頂点に広く裾野を拡げる極めて多数の企業群が有する「ものづくり」技術の強さにほかならない。この日本企業の強さの色々な側面について、経済評論家の長谷川慶太郎氏が近著「甦った日本経済のゆくえ」(実業之日本社)で述べている。
その一つは工作機械、すなわち工場などで製品を作るための機械の分野におけるわが国企業の強さである。日本工作機械工業会という業界団体が発表している統計などによると、工作機械分野におけるわが国の世界シェアは図抜けており、その割合は現在も増加し続けているとのこと。工作機械ではコンピューターなどによる自動制御の技術とともに、高い精度で機械部品を加工する最高度の「ものづくり」技術が要求される。この工作機械の代表例は自動車の車体を打ち抜くための大型のプレス機である。この本によると、米国ビックスリーの一つであるGMの工場では数百台のプレス機が稼動しているが、なんとその全てが日本のとある重機メーカーの製品なのだそうだ。もはや日本の工作機械がないと世界中どこの国でもモノを作ることができない時代になっているのである。
そこで、こうした圧倒的な工業力や技術力に関してわが国はもっと自信を持つべきなのであろう。しかしながら、一方で心配なことがある。それは、わが国の工業や高い技術力を支える人材の問題、特に若年層が質量ともに薄くなっているという現実である。その一つの表れが大学の理工系の人気の低下である。一流大学と言われる工学部の大学院でも、近年、定員割れをする学科が少なくないという。工学系の大学院の研究室では、日本人よりもアジア系の留学生が主力を担っている場合も珍しいことではない。優秀なアジア系学生の多い米国シリコンバレーの大学がまさにそうなのであるが、わが国の大学も世界に開かれるようになった証左であると喜んでばかりはいられない。BRICなどの国々が急速に台頭している今日、現在の米国の産業の姿が近未来の日本の姿なのかもしれないのである。
トヨタが世界一になった日が、わが国工業力の峠の日であったと後世の歴史家に言われないようにしたいものである。(1月4日)