今に始まったことでないが米国ビックスリーが苦戦している。
赤字、人員削減、工場閉鎖と暗い話題ばかりで、日本勢に加え韓国製の好調さとは好対照である。一昔前なら日本の車や企業は目のかたきにされたものだが、今ではその気配は全くと言っていいほどない。というのもトヨタやホンダの多くは、米国内の工場で米国人労働者が製造しているのだから怒りようがないである。
日本企業はかつての苦い経験から現地生産に切り替えるとともに、折に触れて現地に溶け込む努力を続けてきた。摩擦になりそうな火種が起こると、TVやラジオのCMなどで、車の殆どの部分が米国内で製造され、どれだけ多くの米国人を採用しているかとPRする。しかし何と言っても消費者にとって大事なのは車の性能やサービスである。すでに日本車のブランドは強固に確立され、もはや日本車がなければ生活できないのである。何より喜ばれているのは故障が少ないことである。一度、日本車に乗ってしまうと次の買い換えでは必ずといっていいほど日本車にするので、そのシェアは年を追うごとに上昇する。
かつて、少なくとも80年代までは米国自動車は憧れの象徴だったことを思うと隔世の感がある。また、その頃は日米摩擦も気になったから、米国人との付き合いの多い日本人駐在員たちは米国製自動車を運転することが当然だった。買い替え時には米国車を買うように本国から指定されることすらあった。車にも当たり外れがあるが、そのようなおり運悪く「外れ」のアメ車を面倒みることになる駐在員はしばしば信じられないような経験をすることになる。
例えばニューヨーク勤務のAさんは、走行中、突然ハンドルがとられ、驚いてバックミラーを眺めると、タイヤが一つコロコロと遠くに転がっていく光景が映ったとか。
小生がワシントン駐在のおり部下の一人は、見た目は素晴らしいアメ車に乗っていたが、年中トラブル続きに参っていた。はじめて同乗させてもらったおりには、後部座席の片側ドアは一旦閉まると開かないので、反対側から乗ってくださいと言われた。またある時は、運転中にルームミラーを手で動かしたら、そのミラーがポトリとちぎれて落ちてしまったという。極めつけはトランスミッションの不良で走りが悪くなり、数千ドルを払って取り替えることになったとか。勿論、室内は広いし価格もリーズナブルという良い点もあったのだが。近所の米国人たちからは、「なぜ日本車に乗らないのか」と不思議がられるやら説得されるなどなど、実に多くの話題を提供してくれたことを覚えている。(9月22日)