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    196.「日本人とテレワーク」(7月25日)

日本人にテレワークは向かないのではという話をきくことがある。その理由の一つは、我々は集団で行動する習慣が染みついるからというものである。大部屋のオフィスで、万事、合議や稟議をむねとするから、何事もフェイスツフェイスでないと具合が悪い。確かに、大部屋オフィスでのフェイスツーフェイスコミュニケーションの利点は多い。ITがいくら進歩しても、電子メールやデスクトップ上での会議では複雑なニュアンスを伝えられない場面がある。日本人とテレワーク   

しかし、逆に何でも寄り合いで仕事をすることには弊害も多い。第一に効率が悪く、無駄が多い。多人数で長時間にわたる会議の結論は中庸ならいいが、しばしば凡庸、時として何も決まらないという悲惨な結果となる。もっともそれは、何かを決める際に、「それではとりあえず、関係者を集めて」と言うリーダーやプロジェクトの進め方に原因があるわけであるが。加えて我々には謙譲の美徳というと聞こえがいいが、相手に合わせ行動するパターンに慣れきっているから、とかく周囲に流され無責任になりがちな傾向がある。「横断歩道みんなで渡れば怖くない」である。

 むしろ、一人でもできそうなことは、各人にできるだけ多くを任せるのがいい。それには、好きな場所で一人になって考え、じっくり仕事をさせる。すなわちテレワークを許すのである。場所を変えて一人にさせる自由を与えることは、それだけ責任感を持たせることになる。だから、誰にでもできるというわけではない。連絡や報告の手順を予め決めておくのはいうまでもない。

日本人は個性がない、創造力に欠けるという人があるが、決してそうは思わない。むしろ我々の個の能力は極めて高いのである。外界との交流を限った環境下で思う存分仕事をすると、創造的な仕事ができ、驚くほど仕事が捗る。

そうした現象は過去の史実にもあてはまるかもしれない。現在のわが国の優れた文化、豊かな個性の多くは、海外との交流が限定された鎖国時代に花が開いたものである。 インターネットの登場によって、「フラット化する世界」の中で、中国やインドなどの発展途上国の一歩先をいくには、我々の優れた個の力を育て、生かすことが大事である。それには、四六時中、同じ環境で寄り添って仕事をするのでなく、環境もメリハリをつけるのである。それを許すも許さぬも上司にかかっている。 (7月25日)