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    183. 「どうにかならんか自動車教習所」 (9月3日)

日本の旧態依然とした高コスト構造の一つと思うものに自動車の免許取得手続きがある。 わが国で免許をもらうには、自動車学校で平均して合計30時間以上の教習を受けるのが普通である。これは少なくとも過去数十年間、変わっていない。その費用もばかにならない。現在では大体、30万円位かかるようだ。これだけの時間数と経費がかかる国は極めて少ないに違いない。ミニチュアカーを運転する小熊イメージ

理由を言えば色々とあるだろう。日本は道が狭い、人が多い、車も多い。だから交通規則から車の運転技術をしっかり学ばなければならない、そうでなくては危険であるなどなど。これらは間違いとはいえないが、道路事情の改善や車自体の進歩を考えると、昔ながらである必要があるかはなはだ疑問である。海外では日本以上に交通事情が悪い国がいくらでもある。よくわからないのは自動車の機能・性能との関係である。昔に比べて、自動車の機能は格段に進歩し、運転も簡単になった。それにあわせて教習も簡略化されてもいいはずだがそれがされていないのである。最も不可解なのはオートマ車の教習である。オートマ車の教習でもマニュアル車とほとんど同じ(1−2時間しか違わない?)時間数がかかり、したがって料金も(1万円程度しか)違わない。

マニュアル車しかなかった昔では、クラッチやギアシフトの操作に慣れるには時間がかかった。半クラッチの操作で足に気をとられると、ハンドル操作がおろそかになる。ピアノ教習同様、両手両足が連動しなければならないから、慣れるまで一定の時間がかかった。坂道発進なども大きな関門だった。しかし、現在では自家用車のほとんどはオートマチック車である。タクシー運転手などになる人々を除き、ほとんどの人間にはマニュアル車の教習は不要なのではないか。

このように現在の自動車教習システムは利用者本位になっていないのである。自動車学校の都合、はっきりいえば教習所の経営や雇用対策の面が大きいのではないか。

利用者の立場が見えないのは学科試験も同じである。教習所に長らく通ってようやく教習所を卒業しても、免許交付を受けるには、指定の試験場所に学科試験を受けにいかなければならない。この学科試験の場所はあちこちにあるわけでなく、ウイークデイの平常時間帯のみの営業である。手順自体は簡単な試験であり、自動車教習所に立派な施設があるのになぜ、わざわざ出かけなければならないのか。自動車教習所は信用されていないのだろうか。

車が生活必需品になっているのに、なんとかならないものだろうか。 (9月3日)