滋賀県近江八幡市の町づくりコンセプトである。(6月4日、毎日新聞記事) 同市には、住んでみたいと思うところから始まり、この町で生涯を終えたいと思えるような町にしたいとの願いがある。「生きがい」はもはや使い古された言葉であるが、「ついのすみか」にしたいと思わせる「死にがい」を前面に掲げたところが清新だ。
以前にも書いたが、われわれ日本人は国を愛していると答える人が極端に少ない。その原因の一つに誇るに足る自然や町並みを失いかけていることがあるに違いない。日本中、どこの駅におりても駅前にはけばけばしい看板があふれ、高層アパートが立ち並ぶ。子供が元気に遊ぶ声もめっきり聞こえなくなったが、おじいちゃんおばあち ゃんが縁側で猫と戯れる風景もなくなった。5月のこいのぼりも珍しくなってしまったが、子供が減ったのに加え、甍の波の上でこそ気持ちよく泳げるわけだから仕方がない。 関東はおしなべてこんな具合だが、この町のように京都に近いところはまだ希望がありそうだ。
ところで、近江八幡市では市職員に在宅勤務のテレワークの試行を始めている。おそらく市町村レベルの自治体では始めての試みだろう。行政が実施することで、新たな産業創造や起業家育成支援をしたいという。 近頃、自治体職員への視線は、大阪市は論外としても、決して生易しいものではないだろう。役場の窓口に立ってこそ、万事、市民サービスでないかと思う人がいるかもしれない。しかし、問題は仕事の中身なのである。忙しそうに見えて実際は非効率であるのが「お役所仕事」である。人がいるから仕事が増えるというパーキンソンの法則もしかりである。
毎日同じ机、職場で仕事をする習慣から思い切って抜け出し、一日でも離れた場所で集中して仕事をすることで地域活性化の種が生まれるのではないか。「死にがい」だけでなく、「生きがい」のある仕事ができる町にもなるに違いない。 (6月10日)