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    90. 「美しくない日本と電線」

わが国のまちには顔がない。 どの街も金太郎飴のように似ているし、決して美しくない。 国土が狭いというハンディがあるからやむをえない面があるが、それでも歴史を残したいくつかの街は美しいから、我々の景観保護の努力が足りないのだろう。

街が特色がなく醜いことが我々の心の拠り所を失わせている原因の一つになっているのではなかろうか。 生まれ育った郷土を愛する気持ちは、自然や風景の記憶と混然一体になっている。 新聞での調査によると、「国を愛していますか」という問いに、「はい」と素直に答えられない若者が世界的にみて最も多いというのは異常であるが、景観も、一つの原因ではなかろうか。電信柱と電線イメージ

古都と呼ばれるまちの家並みが美しいこと。それらの配色の妙や周囲の自然との調和をみると、私たち日本人が古来より持っていた美感に驚かされる。 5月のこいのぼりや夏祭りの神輿や山車もこのような風景のなかでひときわ鮮やかに引き立ったに違いない。

現代日本の悪者は色々ある。看板、色調、それに電柱や電線。 ことに住宅地での電柱や電線、TVアンテナの醜さは写真でみるとよくわかる。 パソコンのお絵かきソフトを使ってこれらを消してみたことがあるが、見違えるようにすっきりした背景となる。

わが国では、地震などの災害が多いこともあり、残念ながら、電線の地中化は遅れた。 電線地中化は都市部を中心に行われているが、なお遅々としている印象は否めない。 光ファイバーも旧来の電柱経由がてっとり早いので、架空での敷設が進んでいる。  現代技術や英知をもってすれば、美観を考慮した敷設方法があるものと思う。 水道やガスはすでに地下を通っているではないか。 敷設工事に多額の費用がかかるが、新しい道路を作るのに比べれば大したものではなかろう。

ほとんど車の通らないところに金ぴかの道路を作るより、情報通信用の高速道路の整備と景観の改善をあわせて行っていくことが、将来世代にとってどれだけ価値のある資産になるかわからない。 (8月15日)