子供の人口が少なくと、色々な弊害が出てくる。 活力がなくなる、経済成長がとまる、それに社会福祉制度が破綻する。 このようにマクロ的な現象としては理解できるが、子供をもつ親でないとなかなか実感としてわかない。
そう思っていたおり、あるNHKの番組で少子化の影響について放映していた。
とあるニュータウンの学校。 かつては全校生徒が千数百名、1学年のクラスが5つも6つもあったが、今では各学年1クラスのみである。 広い運動会の真ん中での朝礼はきわめてゆったりしている。 運動会ではいつも同じ相手と競争する。 一昔前なら足が遅いのでお呼びがかからなかったような子供たちも色々な種目に参加できるから、ご両親のビデオ撮影もさぞ熱が入ることであろう。
野球クラブの練習風景があったが、こちらは1チームができるのがやっとである。 ここでも全員が選手になれるのはいいが、外野の珠拾いも選手自らがやらなければならない。 練習試合をするのに苦労する。 そこで生徒の親がボランティアで参加し、代走役まで請け負う。 監督も優しい。 根性ドラマのように強くしかりでもしたら、やめてしまうのが怖いらしい。 つまり、何事もゆったりしていて、友達どうし仲良くなのである。 それはそれでいいのだが、反面、競争心や闘争心を育てる場面がないのである。
親も過保護で何かと面倒をみてしまう。 子供は親の期待を一身に背負っているのがわかるから、大好きな母親のいうことをきいてあげようと思うようになるのは人の子である。 かつて団塊の世代は幸か不幸かこういうことはなかった。 ありつけるパイの数は人数より常に少なかったから、競争の連続である。 しかし、その中で緊張や挫折もあったが、何かをやり遂げた時の達成感もあった。 更にそれ以前の世代はもっとハングリーだった。 兄弟が6人も7人もいればそのうちの一人や二人、夕飯を食いそびれてもれても親は気がつかないから、ハングリー精神が育つのは当然である。
世界中には、まだまだこのような国が多い。 多いというより大半である。 その子供たちはかつては一生貧乏のままであったが、これからはそうでないかもしれない。 英語を話し、インターネットにつながるようになると、一人で学習ができるし、世界を相手にビジネスだってできるのである。 日本の子供たちをみていると、このような国と競争していくには少し心もとない気がするが、余計な心配だといいのだが。 (8月13日)