対象期間中の業績評価にもとづいて賃金やボーナスをきめる成果主義を採り入れる企業が多くなった。 企業の若手社員もこの成果主義を肯定的にみているようである。 年功型では相対的に若年層の賃金が抑制されてしまい割りに合わないという見方とともに、成果主義を学生時代からの延長で自然に受け入れているのではないかと思われる。
というのは、学生時代の成績評価は成果主義そのものだからである。 各科目の期末の評価は、提出したレポートの出来不出来や試験での結果のみで行なわれる。 そのために何時間勉強したかという時間の多寡や、真面目に取り組んだかどうかといった態度は評価の対象にならない。 なかには授業の出席率たりするもの場合もあるかもしれないが、どちらかというと一部であろう。 良いレポートを作ったり、試験でいい点をとるためには、友人のノート借用も含め、目標達成のためにあらゆる策を弄することになる。
こうした環境のなかで生活してきたから、学生は知らず知らずのうちに成果主義を当然のことと考えているのだろう。 しかし、サラリーマンになった途端に、一律の賃金になり、深夜までの残業に明け暮れるようになる。 仕事の出来の如何にかかわらず、時間でのみ残業手当が計算されることを不合理と感じる者は少なくないのではないか。 それともスーツを着ると同時に、学生時代の思考回路が会社人間のそれに切り替わるのだろうか。
「就職が決まって 髪を切ってきた時 もう若くないさと 君にいい訳したね」という「いちご白書をもう一度」の歌詞ではないけれど。
(7月9日)