日本テレワーク協会が実施した最近のテレワーク実態調査において、ダイニングテーブルで仕事をするテレワーカーが少なくないとのこと。 わかるような気がする。
狭隘なわが国の住宅事情もあるし、持ち運び自由になったノートパソコンのお陰で、「いつでも、どこでも」仕事ができるようになってしまったからである。 会社で終えられない仕事を、泣く泣く自宅ダイニングテーブルにまで持ち帰る「ふろしき残業」の人々がかなり含まれているのではないかとも思う。 一方で、より積極的にダイニングテーブルをテレワーク場所として好む人もいるに違いない。
その積極的理由について勝手な想像をしてみた。 第1に、ダイニングテーブルは広いこと。ノートパソコンだけでなく、色々な書類も広げることができる。
第2に、くつろいだ姿勢で作業できるし、「ながら族」ができるという点。 テレビや音楽をかけながらもいいし、家族とつながりを保てるかもしれない。 静かで隔離された場所というのが大方のオフィスの条件ではあるが、仕事の中身も好みも人によって大きく異なる。 周りに何があっても集中できる人はできる。 子供の頃より、家族の集まるダイニングで勉強するのを好んだ人間は自分専用の机があってもこのような場所を好むような気がする。 ノートパソコンさえあれば仕事に不自由がなくなったから、自分の机が飽きたら、次は場所をダイニングルームに移してという、宅内徘徊テレワーカもいるだろう。
他方、物事には良い面があれば必ず悪い面がある。 ダイニングテーブルワーカーの最大の問題は公私の境界が不明確になることだろう。 一般的に在宅テレワーカーが抱く不満で最も多いのは、「仕事と家庭のけじめがつきにくくなる」ということであるが、まさにこの点が問題になるわけである。 ワーカー本人はよいと思っても、同居人である家族にとっては不快となるケースは想像に難くない。 テレワークというより「ふろしき残業」の場合には、えてしてそういうはめになる。
帰宅後には、家族の話をじっくり聞いてほしいのに、ダイニングテーブルにまで仕事を持ち込むのはやめてくれという家族の気持ちはよくわかる。 頭脳労働が多くなり、「どこでもオフィス」になりえる今日、公私の調和がますます我々の重要課題になっていることをダイニングテーブルワーカーは象徴しているといえよう。 (6月25日)