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    69. 「ケータイ文化」

今や携帯電話は生活必需品である。特に若者には片時も離しておけない身体の一部になったかの感がある。 外出する時、腕時計は忘れても携帯は忘れない。 というより、最近はケータイが時計かわりになるので、腕時計をしない人々が多くなった。 腕時計をしないと腕が軽くなって気持ちも楽になった気分になる。 時計メーカにとっては大変な時代になったものである。 ケータイのなかに電子マネーなどの決済機能を入れてしまおうという動きもある。 財布は忘れてもケータイは忘れないというのもあながち笑い話でなくなる日が来るのも近い。

多くの若者の間では、電話としてよりもメールを交換したり、ダウンロードした着メロやゲームで遊んだり、写真を撮ったりする超小型エンターテイメントマシンとして使われている。 ケータイのこのような利用方法は、わが国が最先端でしかも日々新たな世界を切り開いている独自文化の世界でもある。 親指文化ともいうようだ。携帯電話イメージ

ケータイを片手にもち親指一本をせわしなく動かしてメールを打つというのは若者の基本技能になったが、海外ではどうだろうか。 不器用といっては悪いが、指が太くて大きい外国人にはちょっと難しいかしら。 そう思ってある米国人にきいたら、そんな面倒なことをするより、電話をかけるのが手っ取り早いとの答え。 外出中ならまだしも、家にいる時にはPCもあるので機能の限定された小さい画面に向き合うこともない。

日本でケータイがはやる原因には、裕福で暇を持て余している若者が多いとか、電車通勤通学が多いという事情があるからに違いない。 電車の待ち時間は、たとえ2−3分であっても手持ち無沙汰なもので、この隙間時間を埋めるにはケータイがいい。 電車の中でも、友達どうしが無言でうつむいて親指をせわしなく動かしているのを見ると、世も末と思ってしまうが、自分でやってみるとゲーム感覚でついはまってしまうのである。 (6月23日)