人を育てるには、褒めるのが大事とよく言われるが、米国の小学校ではこれが徹底しているように思った。 子供の能力を引き出し、個性を伸ばすことが何より重視されているようだ。
子供ががんばりよくできると、先生はたいていオーバーにほめてくれる。 日本人から見ると、まさに”ほめまくり” に近い。 その時のほめ言葉のひとつは、“I’m proud of you.” (私はあなたを誇りに思う)である。 簡単だが、実に素晴らしい表現ではないだろうか。
日本の子供たちは、大抵まじめで優秀だ。 しかし、最初の1年は先生の話す英語はさっぱりわからない。 おとなしく黙っている子供がほとんどである。 ただ、算数だけは万国共通だから、よくできる。 そんな時、先生が褒めるのは言うまでもないが、クラスメートも、ブラボーとかジーニャス(天才)とか言って喝采してくれる。 例えば、九九の計算や暗算。 この時には、突如として誰よりも早く手を上げ、前に進み出て全問正解してしまうから、びっくりして、まさにジーニャスに見えるのであろう。
そういえば、算数の教科書は日本の方がよくできているように思った。 子供たちが小学校で使っていた教科書は、ハードカバーの大判で重たい。 これは、自前でなく学校が子供たちに貸与してくれるのだが、何年も使い回しているので、汚れていたり、においが染み付いていたりする。 教育財政や個人負担を考慮してのことだろうが、やはり教科書は新学期になって真新しい自分用のものが与えられる日本の子供たちの方が恵まれている。 内容も日本とは随分違う。 例えば、2けたとか3けた同士の掛け算問題などは、電卓マーク付きになっている。 筆算するのでなく、電卓で計算すればいいのである。 あるいは”Estimate” つまり、概算でどの位になるかを答えることが要求される。 確かに、現代では合理的かもしれないが、日本の子供たちに言わせると、筆算する方が速いという。 そんな計算(?)問題が延々、何十ページにもわたって続くから、教科書が分厚くなるのも当たり前なのである。 (11月14日)