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    125. 「窒息するオフィスは本当か」

今、テレワーク関係者の間で話題になっている「窒息するオフィス」という本がある。 米国の女性ジャーナリストのフレーザーさんという方が書いたWhite-Collar Sweatshop(すなわちホワイトカラーの搾取工場、あるいはタコ部屋)の翻訳本である。

今、テレワーク関係者の間で話題になっている「窒息するオフィス」という本がある。 米国の女性ジャーナリストのフレーザーさんという方が書いたWhite-Collar Sweatshop(すなわちホワイトカラーの搾取工場、あるいはタコ部屋)の翻訳本である。紙の山に埋まる机イメージ

かつてに比べて大幅に増加する仕事量に対応するため長時間労働になり、自宅に仕事を持ち帰り、移動中にも顧客や上司と連絡をとりあわなければならず、ストレスは増加し、家族と過ごす時間は減る一方。しかし、賃金はあがらず、福祉厚生制度も悪くなる。 かといって雇用状況が厳しいのでレイオフの恐怖に怯え、転職もままならないというような愁訴が延々続く。

わが国企業の多くが手本にしようとしている米国企業の実態がかくのごとき劣悪なものか、それに比べれば日本は悪くないなとつい思ってしまう。 しかし、果たして米国ホワイトカラーの真実の姿なのかという疑問がわく。 確かに、多様なIT機器がこのような状況であることは紛れもない事実ではあるが、だからといって、その利用をやめることはできるであろうか。否である。

実は、世の中が第三次産業革命といえるほど革命的に変化しているのである。 産業革命以後、人にとってかわる機械のうちこわし運動(ラッダイト運動)が起こったことがあったが、同じように、IT機器をうちこわしてもことは解決しない。 経済構造は2つの意味で大変化している。

一つは、生産者と消費者の力関係の変化である。もう一つはグローバル化の側面である。 労働条件が厳しくなったのは当然ながら生産者側の立場で言ったものである。 人は生産者であると同時に消費者でもある。 消費者の観点から言えば、かつてに比べて、よい品をより広い選択肢の中から、しかも安い価格で手に入れることができるようになった。 この変化が一方では生産者側の競争を激しくし、労働者の地位を不安定にしている。 それを助長しているのは、第二の側面、すなわち、前世紀末に起こった冷戦構造の消滅によってもはや世界同時経済圏といわれるほどに国際競争が激化した点にある。

米国経済は、現在、ジョブレス(あるいはジョブロス)リカバリーといわれるほど、高失業率下での経済が活況を呈しているが、企業はごく一部の業務を除き、外注どころかインドなどに委託できる。 1国で10億人以上の人口をかかえる中国やインドでも優秀でさえあれば、米国人と競いあえる時代になったのである。 つまり、ホワイトカラー労働者が戦う相手は、一挙に増加し、かつてより質の高い仕事をより多くしなければ生き残れない状況になったわけである。かつては良かったという郷愁はある。 しかし時計の針を逆まわしにして、ブロック経済や共産主義、そして年功と時間で賃金が決まり、生産側の都合でモノやサービスを作っていた時代に後戻りすることは不可能である。

米国の良さは多様な可能性が開かれた機会の平等が保証されている社会である点にある。 本書に述べられているのが米国企業一般の状況であるならば、それをビジネスチャンスにする人や企業が現れる社会である。確かに仕事と個人の切り分けは難しくなったが、それは知識社会の宿命であり、それを乗り越えていく知恵が求められている。 長時間労働がなったといっているが、多くは、能率が悪いか、出来が悪いかのどちらかだろう。

こういう話をきいたことがある。 日本では人は自分の不幸は会社や社会が悪いからと言う。インドでは前世が悪いのだと言う。 しかし米国では、他を言い訳にすることはできないというのである。 それこそが不幸の始まりなのかもしれないが。 (1月12日)